松阪祇園祭について

松阪祇園まつりは、初午(はつうま)大祭」(2月)、「氏郷(うじさと)祭り」(11月)と並ぶ松阪三大祭りのひとつで、毎年7月中旬に行われ、土曜日の宵宮,日曜日の本日としてそれぞれ盛大に行われます。

八雲神社(松阪市日野町)、松阪神社(同市殿町)、御厨(みくりや)神社(同市本町)の3神社からみこしが繰り出し、市中心部の商店街などを勇壮に練り歩きます。

最終日には、同交差点周辺で市の無形民俗文化財に指定されている「松阪しょんがい音頭と踊り」や「松阪しょんがいソーラン」なども披露され、子どもから年配の方まで大勢の方が参加し、盛大に踊りが繰り広げられます。

また、各商店街の趣向を凝らした夜店などが立ち並び、夏祭りの長い夜を楽しむ人々で街はあふれかえり真夏の祭典を楽しみます。

松阪祇園祭の歴史

松阪祇園まつりは平安時代、京都で始まった御霊会(ごりょうえ)に由来し、牛頭天王(ごずてんのう)を祀る八坂神社の祭りが松阪に波及したものだと伝えられています。

6月7日から14日の間は、松阪四天王といわれる牛頭天王を祀る弥勒天王(日野町八雲神社)・御厨天王(本町御厨神社)・雨竜天王(魚町雨竜神社、明治41年松阪神社へ合祀)・毘沙門天王(西町八重垣神社、同年松阪神社へ合祀)の四社の祇園会であったと伝えられています。

弥勒天王の祭りの主役は御輿で、拝殿に供えられた御輿が町内を練り歩く習慣は、元禄年間(1688~1704)に始まったとそうです。また、社殿では巫女たちによる神楽の奉納や提灯取り神事も行われました。

御厨・雨竜両天王社では獅子舞が奉納され、さらに、魚町の氏子たちは趣向を凝らした山車を作り、雨竜社の祭りに花を添えたと伝えられています。毘沙門天王社では、西町の氏子たちが珍しい絡繰物や浄瑠璃・手踊りが行なわれたそうです。

町役人は祭りに際し、各地から出し物についての企画が出されると、くれぐれも華美にならないように通達し、それを許可しました。
祭りのイメージ画像宝永5年(1708)ごろから、にぎわいを始めたという祇園会も、明治になると、政府から”祇園 ”という名を廃止せよと命じられ、一時 ”素盞鳴尊御祭礼(すさのおのみことごさいれい)”とか ”八坂祭 ” と改名されました。

また、長い歴史のなかには、10月に祇園会を行ったという珍事もあったそうです。毎年3月に行なわれる初午にしても、祇園にしても、町役人の許可を得て、町役人の取締のもとで行っていたそうですが、ある程度は祭だということで、黙認されていたようです。

松阪あげての”お祭り ”としてこの日ばかりは、今も昔も変わることなく、楽しい日を過ごしたのではないでしょうか。

※上記の項目・内容は、「松阪開府400年の歴史」より抜粋させて頂きました。